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第5回ハイライト「ヒミオカジマ氏」

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「大富豪のユダヤ人たちが、私に夢中になるその理由とは?」

日時:2010年5月18日(火)

つたえびと:HiMi NY Corp CEO ヒミ*オカジマ氏
(会話人・作家・レストランオーナー・福岡商工会議所・福岡農産物通商海外アドバイザー)

今回のつたえびとは「HiMi NY Corp CEO」のヒミ*オカジマ氏でした。
お金もコネも人脈もなく、自らの意図と会話力だけで07年10月、NYマンハッタンに「HAKATA TONTON」をオープン。
世界不況の最中であり、宗教上豚を食べないユダヤ人が8割を占めるこの街で、今では予約が2週間待ちという超繁盛店になっています。
彼はいったいどうやって、ユダヤ人たちを夢中にさせたのか?
今回のつたえびとであるヒミ*オカジマ氏が熱く熱くお話ししてくださいました。



「こんにちは!」でスタートした今回のFukuoka成長塾。今回は冗談を交えながらとてもためになるお話をしていただきました。

なぜニューヨーク出店?

ニューヨークにお店を出していまして、忙しいですよ本当に。
ニューヨークでは年間100のお店がオープンしていますが、逆に潰れる店はそれより多い120店舗となっています。年々お店が減少していっているんですよ。
それでもニューヨークへの憧れやエネルギー・情熱というのは誰でも持っています。ニューヨークと言う言葉だけで人がわくわくします。
ニューヨークは店を出すのに世界で一番難しいと言われています。でも、何が難しいのかは分からなかったんです。ただ、難しいといっている人はやったことが無い人が多いというのは分かりました。でも本当のところどうなんだろうか?なぜ、難しいのかは後で。

まずは自分が持っているもの・特性を知ることが大事

人間が何かをやろうとするとき、僕がニューヨークに行って実際にやってみて気づいたことがあります。
「場所とかどうこうとかいうのは関係ない。まずは自分が持っているもの・特性を知ることが大事。」
例えばマイナス・ネガティブなこと、いろんな事があったとしても、もしそれらを自分が全て受け入れるとしたら。 チャンスは誰にでも平等にあるんです。そのチャンスをひょっとしたら人のせいにしたりそんなはずではなかったといって自ら潰しているのかもしれないんです。僕は全部「100:0」で必然であると思っています。僕は何かあったときに人のせいにはしないし、もちろん結果に対して何が原因でそうなったのかいつもそれを考えています。そういう中で自分という人間はどういう人間なんだろうと考えてみます。そうすると、やっぱり生まれた頃まで遡っていくことになります。


子供の頃から独立前までの経験

私は子供の頃、両親から物事を教わった記憶が無いんです。物心ついたときには恐竜図鑑を抱いて寝ていた記憶があります。いつも恐竜図鑑を見ていました。今は存在しない恐竜が僕にとっての憧れでした。その恐竜はいつも僕の妄想を掻き立ててくれました。
ある日のことです。母親に、恐竜のおもちゃが欲しいとダダをこねていると、食事が終わった後に母親が台所に行って食べた魚の骨をきれいに洗ってきて「恐竜の骨よ」って言って渡してくれたことがあります。これがとてもうれしくて。「これが恐竜の骨なんだ」と。
それからは人の家に行ったとき食べた後の鳥の骨などを見ると「捨てるのならください」と言うようになりました。どこに言っても「捨てるのならください」と口にするようになっていました。自分の中の口癖になっていたんです。物をもらうのに恥ずかしいという思いが無くなっていました。
このようなことを経験することで、人とは違った視点で物事のベースが出来上がっていきました。
急に家が裕福になったことがありました。父親がジェットバスを開発し特許を取ったんです。その頃から家庭がうまく機能しなくなりました。色々なことがあって家族がばらばらになりました。僕は「これからは未来に生きていくしかない」と思いました。
そうこうするうちに僕は大阪まで流れていって、惣菜屋で働くようになりました。そこでも天かす・野菜など「捨てるのなら下さい」と言って譲ってもらっていました。
思い返すと、自分の原点がそこにあるのかなと思っています。無意識の中で「捨てるのなら下さい」と言っている自分がそこにいるのです。
フランス料理店の厨房で働いていたころのことです。僕がよくしゃべるので厨房からホールに移ってみてはどうかと提案されました。僕の性格に合っていたのでしょうね。気づいたら23歳で支配人になっていたのです。 このとき、僕はしゃべっているほうが向いているかなと感じました。そうなると、「独立したほうが早いかな」と考え26歳の時に独立しました。

独立への道

お皿の調達の話です。テレビを見ていると、「日本では失敗作として世の中に出ない商品はたったの1%である」という話がありました。そこで、あるお店に電話をし、たずねました。そこには素人目では分からないような失敗品が大量に在庫としてあったのです。そこで、交渉して非常に安い金額で譲ってもらいました。
キッチン器具についても同じように考えました。展示会に出して市場には出せないもので使えるものがないかどうか。これも安くで譲ってもらうことができました。
僕は正規の料金でモノを手に入れようと思ったことが無いんです。

トンソクのお店をやろうと思ったときに、「食べて健康になるレストランはあるけど、食べてキレイになるレストランはないよな」と思いました。博多の人はトンソクをよく食べるけど、他の地域の人はトンソクを食べない。
ここでも同じことを考えました。「鹿児島の豚のトンソクは食べられているのだろうか、捨てられているのだろうか。」
聞いてみると「捨てている」ということだったのです。そこで送料は払うのでトンソクを譲ってくださいという話になり、2007年に「食べてキレイになるレストラン」をオープンさせました。
でもどうせやるならニューヨークまで行きたいなと思っていました。憧れとか色々あったので。人生1回なんだから世界で思いっきりやりたいな。でも店をオープンさせた当時は「トンソクを食べてキレイになるレストラン」なんて意味が分からないと日本でも言われていた。
でも、タイミングがいいことに「飲むコラーゲン」というものが発売されたんですよ。それからというものの全国の経営者の方が集まってきたんです。フランチャイズの話・レシピの話などでしたね。僕はそんなの興味が無かったからどうでもよかったですよ。真似してくださいと。



ニューヨークへの道

ニューヨークにコネがあったのかと言うと何もなかったんです。ニューヨークに行こうと思ったのは勢いしかないんです。とにかく動けばなんか見つかるだろうと思っていました。
ニューヨークに渡ってマンハッタンでビールを飲んでいたとき、日本のビール会社の看板が目に入ったんです。アメリカでも日本のビールが売られているんだと思いました。その某ビールメーカーの社長さんに会いに行きました。そこで「トンソク」がありそうな店のボスを紹介してもらいました。そのボスには「トンソク」があるかどうか聞きに言っただけなのに、どんな店をオープンさせてどんな店にしたいのかと言う話をしているうちにその店のボスから一緒にやらないかと言われたのです。お金を出す・物も調達するということでした。
そのほかにもレストランのオーナーを多数紹介してもらったが、そこでも一緒にやろうということで店が無いにもかかわらずお金だけが集まってきました。
また、オハイオ州で鹿児島豚の元となった豚のトンソクが廃棄されているというので、そちらとも契約を結ぶことができました。

そうこうして準備が進んでいたある日、ある方から「何ビザを持っているのか?」と言われました。そうです、ビザの問題だったんです。
何が難しいかと言うとビザが取れない。これが難しかったのです。
思ったのです。何も知らないからこそ、ここまで来れた。何も知らない事はいいことでもあるんです。
そこで、弁護士の方を紹介してもらって、相談をしに行きました。始めは「ユダヤ人の街でトンソクの店なんて、そんなの無理だよ!」と言われ続けましたが、会って話をするうちにその弁護士の方も興味を持ち始めてくれ最後には「自分もお金を出そう」と言い始めたのです。
これを通じて思ったことがあります。
「何かを成功させようとするとき反発・非難があるものだ」
丸の内線の内側の広さに800万人のマーケットがあり、しかもそのうち80パーセントの人が豚を食べないユダヤ人と言うこともあり反対や非難の声が多かったのです。でも、そんな反対や非難の声があればあるほど僕の心は燃えていきました。逆に「絶対にやりたい!」という思いが強くなっていきました。
次に、店をオープンする事を知ってもらうために1日3人の友達を作ろうと考えました。これを続けていけば1年で1000人と繋がる事ができるのです。そして、その友達の後ろには友達がいるので当然大きなネットワークを築くことができます。 その一環で、ニューヨークの日系の新聞社に飛び込みで行き「コラムを書かせてください」とか「コラーゲンの特集を組みませんか」と持ちかけるなどして、お店の宣伝を含めて掲載させて頂いたこともありました。


アメリカは人種差別がとにかく凄いところだった。僕もその壁にぶち当たりました。店舗を借りる契約をしたときの話です。なかなか店舗を借りることができなかったのです。最初は何で断られたのか分からなかったんですけれども。

そうこうするうちに資金が底をつきかけてきました。そういう中で日本に一時帰国することになりました。帰国すると、何人もの人がお金を援助してくれました。
「金の切れ目が縁の切れ目」と言いますが、僕にはそうではないような気がしました。逆に強くなったんです。 あるエピソードです。会社の通帳残高が10万円になったことがありました。そんな時に、お世話になっている方から相談料として10万円の請求がありました。その方が言うには「払うものはきちんと払ってください」と。
そのときの従業員の言葉が僕の胸を熱くさせました。
「10万円払いましょう。ゼロになっても日本の店舗は守りますから。」
そして、再びNYへと出発する日が来ました。ちょうどその日、そのお世話になっている方から餞別を頂きました。中身を見てみると10万円でした。そのとき10万円を請求された意味に気づきました。
その意味は「中途半端になって逃げてはダメだ」「この経験を通じて従業員との絆を深める」ことだったのです。この瞬間、僕の中で「絶対やり遂げるという覚悟」ができました。

ニューヨーク店のオープンと新しく見え始めたもの

お店のオープンは強行日程で進めました。お店の改装やらスタッフの募集やらをたった1週間程度でやったんです。遂にNYで店をオープンさせることができました。その際、CBSの取材なども受けました。
お客さんが押し寄せてくるようでしたよ。アメリカ人のお客さんは「TONSOKU」というものを食べてみようではないかということで来店される方が多かったようです。そして、そのお客さんがまたお客さんを連れてくるといったふうにお客さんが押し寄せてくるようでした。
お店で明太子を出したことがありました。このとき「タラの卵なんか食えるか」といって、3組ほど続けて怒られたことがありました。でも、メニュー名を変えて「博多キャビア」と出してみたらこれが売れるんですよ。
「モノ」ではなく「名前」だなってこのとき思いました。例えば、日本人でいうとブランド品のバッグを持っているのと同じではないのかなと。多分、ブランド名をバッグから抜いたらどこのブランドか分からなくなるのと同じです。これに気づいたときに視野が広がりました。どう言葉にするかが大事なんだな。



NYに行って日本が客観的に見え始めました。博多にいるときには全然見えなかったんです。
。「博多」「九州」なんか全然知られていないことに僕は愕然としました。
このことがきっかけでお店を改装しようかなと今は考えています。
博多の大きな地図を店内に貼り付けて博多はココだというのをアピールしたい。
山笠の写真を貼って店の外から見えるようにしたい。
観光誘致をしたい。
博多をPRしていきたい。
改装して博多のショールームにしようかな。ただのショールームではなくレストランなので食事をしながらそこにドップリつかることによってPR効果が出るのではないか。
マンハッタンと「博多どんたく」は通じるところがあると思っています。「どんたく」は誰でも参加していい祭なのです。「どんたく」は調和なのです。気づいたんです。マンハッタンは人種のるつぼといわれるくらい色々な人種の人がいる。通じるところがあると。

僕の思い、そして両親への感謝

人間が持っているものは知恵です。その知恵をどう働かせればいいのか。
英語がしゃべれない、お金が無いというよりも知恵をどう働かせればいいのかだと思います。
チャンスはどこにあるのだろう。みんなが右を見ていたら左を向いたりしてみることです。そこにチャンスって転がっているんじゃないかな。何かをやろうとするとき、反対意見や非難がでたときは「これはいける!」と思ってください。逆に反対意見や非難も無くいい案じゃないかといわれたときはもう1回その案を練り直してください。

1人じゃ何もできない。スタッフがいないと僕は何もできないし、どんなに「やるやる」って言っても、その奥にある何のため何がしたいのかと言うことを考えてください。
職業は関係ないのではないのか。
周りの環境とか関係ないのではないか。
自分自身がどうしたいのかが重要なんです。自分がどういう人間なのか考える事が重要です。

自分がここまでやっているのは母親の強烈な言葉でした。
「あんたはあんたの人生を好きに生きなさい」という言葉があったからです。
今まで色々あったけれども、「お母さんありがとう」と思えるようになりました。
そして、父親には物事を区別する力を教えてもらいました。

両親にどこまで感謝できるかはとても大事なことなのではないでしょうか。近くにいると気づかなかったかもしれません。福岡のいい部分についてもNYに行ったからこそ気づけたのではないかと思っています。

みなさんも、両親からもらったものって何だろうと考えてみてください。考えてみると色々なものが見えてくるかもしれませんよ。

マイナスの部分を一歩変えてみればプラスになるかもしれません。言葉を良いほうに捉えてみたりすると今までのビジネスがまた違ったものになるかもしれません。


最後に

最後にタイトルの答えです。
「大富豪のユダヤ人たちが、私に夢中になるその理由とは?」
それは「言葉です」。
結局は「人」「言葉」だと思います。モノを売るときも「人」に惚れて買ってくれるわけだから。
モノを売る前に自分を売れ。まず、友達になれ。
本当の繁盛店は「人」が「人」を呼んでくる店。
みなさんもこういうことをスタッフと考えてみてはどうでしょうか。


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