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第10回 ハイライト「久留米市の酒蔵の社長」

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企業を立て直す秘密の戦略

日時:2011年1月26日

「日本酒の逆襲」
つたえびと:合資会社若竹屋酒造場 14代目 林田浩暢氏

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記念すべき第10回のFukuoka成長塾は実際の企業を立てなおした経験を持つ、合資会社若竹屋酒造場の林田浩暢氏にお越しいただき「企業を立てなおす秘密の戦略」として講和して頂きました。

 

自己紹介

若竹屋酒造場の日本酒と巨峰ワイナリーが作っているワインと胡麻焼酎 紅乙女という焼酎メーカーが作っている焼酎の3つの会社の商品があります。


これらが僕が関わっている会社の商品でして、若竹屋というのは久留米市田主丸町で開いている造り酒屋で、創業が元禄12年(西暦1699年)、今年が312年目になります。ということで14代目の老舗の造り酒屋なんです。

それから巨峰ワインというワイン会社をやっております。


こちらは昨年後継をしました。父が創業した会社なんですが、みなさん巨峰という葡萄をご存知だと思います。あの葡萄は私の祖父が戦後に日本で初めて栽培を始めた葡萄でして、商標も林田家が持っております。

日本で始めて作った葡萄で、多くの生産者方たちと作ったんですけど、作るまでは良いんですけどそのあと売れなかったらどうしよう、ということで生産者の人たちが心配していたのを私の祖父が「売れんかったら俺が全部買い取るけん、心配するな。作れ!」と後押しをしてできた葡萄なんです。


56年か57年前にできた葡萄で、今は全国、世界中で食べていただいている葡萄なんですけど、祖父の想いで巨峰を全国に広めたいということで、「商標も取るな」と当時からそういうことでした。

胡麻焼酎 紅乙女なんですけど、僕の祖母が創業した会社です。


祖母は明治45年生まれで63歳の時に胡麻焼酎 紅乙女の会社を自分で資金調達をして起業しました。63歳になって明治生まれの女性が一から資金調達をして起業するってことはすごいですよね。

70代になった頃には久留米税務署管内の高額納税所得者に10年くらいずっとトップでした。98歳で亡くなりましたが、96歳になるまで現役の社長をやっていた祖母なんです。そういったことで醸造一家で、田主丸で酒に関わる仕事をずっとやってきています。

 

プロフィール

僕のプロフィールの一環なんですけど、僕には妻と子供が2人います。妻は中学校の同級生で、中1の時に校内弁論大会に出ている彼女に一目惚れをしまして、僕の初恋の人なんです。結婚して15年が経ちますけど僕は妻を心から愛しています。

もしみなさんが若竹屋や蔵見学、イベントなどで妻に会うことがありましたら、「林田がこんなことを言っていたよ」とみなさんの口からお伝え頂けたらなと思います。

これは本人から聞くより周りから聞いたほうが信憑性が高いというマーケティングの基本です。ぜひよろしくお願いします。

 

僕はそういう家に生まれついたもんですから小さいときからお受験をさせられていました。これは僕の自慢なんですが受験というもので一度も受かったことがありません。

小学校、中学校の受験に失敗したときは地元の学校に行けるので良かったんですけど、高校のときは親父の紹介で日田商業高校に入学しました。

 

商業高校に行ったので大学に行く気はなかったんですけど、家族が大学受験しろと言うので受験勉強をしていたんです。

そのときに夜食を食べようと居間に行くと親父とおふくろが喧嘩していたんです。「浩暢があんなに成績が悪いのはお前の教育方針が悪いせいだ!」と親父が言っているんですね。

おふくろの方は「なによあなたこそ、いつもは家庭のこと顧みないくせにこんな時だけ口をだして!」なんて言っているわけですよ。親父はですね秀才なんです

。親父からみると僕はいかにもできの悪い息子なわけですね。すると「あいつは人生の日陰道を歩いている」と聞こえてきたわけですね。勉強ができないのは僕の頭のせいなのでしょうがないんです。だけどですね、人格を否定された気持ちになったわけです。

勉強ができないことイコール人生の日陰の道と言われることは高校生でしたし、おかしいと思いました。

その言葉を聞いてから父のもとにいたら、僕はずっと身近な人から評価をされないという苦しみを、反発とともに卑屈した生活をしないといけないんだろうと思ってこれは離れようと、若竹屋とかも継ぎたくなかったしということで東京に出て行ったんです。

 

初めてのお客様

大学は夜学だったので勤労学生として広告代理店に勤める事ができました。ちょっとしたきっかけでゴールデンウィークのときに西武百貨店の池袋店で試飲販売をやらないかという話が実家に舞い込んできたわけです。

僕もゴールデンウィークで休みでしたし、実家からアルバイトしないかと言われやったわけです。ところがですね、見た目通りのボンボンで人前で声をだすことができなかったんです。

自己表現ができなかったので「いらっしゃいませ」が言えない。一日目ボロボロで物が売れないんですよ。さすがにまずいなと思いまして、このまま物が売れないままで実家からアルバイト料を貰うわけにはいかないというのと、大見得切ったくせにこんな仕事もできないのかと親父に思われるのが嫌だったんです。

2日目は目をつむって下を向いて「いらっしゃいませ」とやってみました。するとお客さんが来てくれるわけですね。なんだ声を出せば売れるなと思って、だんだん顔も上を向いたわけです。

3日目になると工夫を加えるようになり、チャレンジしたら手ごたえがあると面白くなってきたんです。

4日目になると慣れてきましたので、博多弁で呼び込みをやってみたわけです。これが当たりましてかなり売れたんです。その時ある瓶を見て自分がラベルを貼った瓶であることに気づいたんです

。その瓶が売れてお客様からお金をいたただいた時に雷のように落ちてきたんです。頭の中で分かっている経済の流れを実感しちゃったんですね。

お酒がお米から出来上がって手元に届くまでの流れをさかのぼるようにお金が分配されていって、そうやって経済って成り立っているんだっていう実感として入ってきたんですね。

米から職人さんたちがどんな想いをしてお酒を造っているか小さい時から見てきています。そんな自分がリアルな経済の流れにいるっていうことが実感として入って。その時ってモノクロがカラーになるくらいの衝撃でした。

ちょっとした商店街でもただの商店街だったんですがそういった経験をしてからは、情報がむこうからどんどん入ってくるんです強制的に。

今まで気にしていなかったことが入ってきちゃうんです。それを初めて経験して、これはすごいなとこの仕事が楽しいと思えるようになっていました。

最終日の午前中には商品が完売して売るものがなくなりました。そしたら祭事担当者がやってきて、青森農協のりんごを売るの手伝ってくれと言われたんです。その時僕は売る事が楽しくなっていますから引き受けたわけです。

楽しいなとそれまで自己表現ができない男でしたから初めて実家の商品を売る経験をし、物の見方が変わり、これはすごい仕事をやっているんだと思いました

。そもそも僕は父との関係が悪くて田主丸を出て行ったんです。でも、そのことと自分の将来をごっちゃんにするのは、いかにも子供じみていたんだなと考え始めました。1週間後母からアルバイト代が届いたんです。

そこにはお客様からのお礼状が同封してあり、お酒を買ったきっかけっていうのが書いてあったんです。「西武百貨店の売り子の明るく元気の良い青年に惹かれて立ち寄ったんだ」とそれだけの文章だったんですけど、そのときに僕の心は決まっていて帰ろう(福岡に)と。

帰ったら経営者として経営に携わらなければならないというのはわかっています。自分が経営者としての資質があるのか20代前半の男の子にはわかりません。だけどこの仕事がきっと好きになれる、というかすでに好きでした。

すごく楽しかったしお酒を売るっていうこと、それから飲んでいただいて喜んでもらうということ、造ることは小さいときから職人さんの背中を見てきていました。

原料を作っている農家の人は僕の友達だし、お父さんたちでした。こういう人たちと関わって物づくりをやるってことに強い魅力を感じていたので、その手紙に背中を押されて帰る決心をしたんです。ちなみにこの手紙をくれたお客様は、今でも年賀状のやりとりをしている僕の最初のお客様なんです。

 

借金8億円

そう決めてから西武百貨店に中途入社をして東京の流通の現場を4年勉強して、足掛け9年の東京生活を経て帰ってきたのが今から17年前です。

もどってきた時には全国の蔵元さんをバイヤーとして見させていただいていましたし、日本一の酒蔵に若竹屋をしようと思って帰ってきたんです。帰ってきたら現場の仕事からやります。

でも志がありますから気になりますよね。目の前の仕事を覚えるのも一生懸命なんですが、もっといい酒をつくりたいそういう燃えた気持ちがありますから小さなことから全部気になるんです

。お酒造りに関しては口を出せませんが、道具を並べるとか重いものを楽に運べないだろうかとか、それだけでも職人さんの体が楽になるからもっといいお酒を造ることになるんじゃないか。

今の自分でも何かいいお酒を造ることにできること気になりますから、どんどん見つけては杜氏さんに提案するんですね、すると聞いてくれるんですけど帰ってきて1年目の意見を聞いて変えていても職人のメンツもあるんでしょうね。全然変わりませんでした。

変わらないなりに彼らが燃えて、いい酒造りをしているかというと決してそういうものは感じない。このままでは酒が良くならんなと思っていました。

春になると新酒が出揃います。新酒が出ると今度は酒売りに行くんですね。先輩営業マンに同行して1日30件くらいの酒販店をルート営業で回ります。当時ディスカウントストア・量販店さんが出始めたころで、酒販店さんの売上が下がると同時に僕たち若竹屋の売上も落ちていくんです。

これはたまらんなということで量販店さんに営業にいったとたん、地元の100~150件の酒販店さんが「若竹屋は俺たちの敵に酒を卸して俺たちを殺す気か!」と言って怒鳴り込んでくるわけですね。新規で伸びている業種・業態のところに営業に行こうと思っても既存のお店が反対するから行けません。じゃあ既存の酒販店さんの方で生き残っていこうと一生懸命営業をかけるわけですが、彼らも売れていないわけですよね。

お客さんがどんどん量販店のほうに流れていきますから、彼らも売れないときに営業に来てほしくないわけです。でも僕らも売上目標がありますから、『営業は断られた時から始まる』 なんていう格言もあるじゃないですか。『買う気がない人に買わせる技術っていうのが営業』と叩き込まれてましたから、引き下がるわけにいかないので、そういう酒屋さんに仕入れてもらう為には条件を付けても、どこの酒屋の営業もしますから買ってもらえない。

酒蔵からお酒が減らないので会社儲かってないなと思ったんで、親父に決算書見せてくれって言ったんです。そしたら叱られました。現場の仕事もろくにできない男が決算書だと、現場に戻れと言われ現場に戻って親父に文句の言われない仕事を1年頑張ろうと。

1年頑張って2年目また決算書見せてくれと言うとまた門前払いでした。社員が決算書を見れない。ましてや跡取りが見れないってどういうことだと思ったんですが、見せたくない理由があるんだろうと。赤字なんだろうなと思っていました。

親父としては息子に赤字ということを見せたくなかったんでしょう。3年目に行っても見せてもらえませんでした。もうこれは強行手段ということで、親父が出張している隙に経理に嘘をついて出してもらいました。すると赤字でした。

10年連続赤字でよく潰れないなと思い決算書を読む本で勉強すると、足りない分は金融機関から調達してきていたんですね。借りられるうちは赤字がどれだけあろうが会社は存続できている。しかし待てよと、借り入れはどのくらいだろうと見てみると12億なんです。

会社の総資産を金額計算したら9億で債務超過の状態でした。大学生のころに親父からサインをするように言われたことを思い出し、経理の人に銀行関係の書類を見せてもらいました。

12億のうち2億は短期の借り入れで、残り10億のうち8億の借り入れの欄に僕のサインがあり、見たことのない実印がありました。もうその時には連帯保証というのは僕の借り入れであるということは分かっています。いきなり8億の借金持ちになり、これは逃げるに逃げられないなということで経営のたて直しをしようと思いました。

聞きたいことがあったので経理の人に聞きに行きました。

「まだ会社が潰れないのは資金調達ができているからですよね?まだお金は借りれるんですか? いいえ、金融機関から追加の担保をよこせと言われています。 追加の担保はまだあるんですか? ありません。 新規でお金借りれないんですか? 

借りるのは難しいと思います。 お金借りれなかったら会社潰れちゃいますよね? そうですね。」とこの坦々としたやり取りの中で僕はもうゴォゴォゴォーときていた。今思い出しても非常に腹が立つ。

 

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彼はですね、ただの伝票の仕分け屋なんです。仕事をしていないんです。業務だけをしているんです。本来の仕事は彼は数字の中から経理的な問題を見つけそれを社長、経営者に挙げてですね、社長ここ問題ありますよと。早急に解決する指示をくださいというように言うのが経理の仕事でしょ。ただの業務しかしていないんです。

仕分け伝票を作るのに1日中かけている。もう、製造やる気なし、営業疲弊しきっている、経理、総務与えられた仕事しかしない。こんな状態で会社はダメだと思って経営計画を書いたのが僕の経営人生の始まりでした。 山本さんと一緒に学んでいる中小企業家同友会の中で、経営指針というのを作りましょうという勉強をしています。

零細企業、中小企業は経営指針というのを作って経営をしましょうよっていう話なんですが。経営指針っていうのは、経営理念、経営方針、経営計画この3つを合わせて経営指針っていってるんですね。経営理念っていうのは、何の為に経営をしているのか、我々はどうありたいのか、経営のビジョンとかそういったものです。

経営方針は、理念を実現するためにはどのような戦略をとっていけばいいのかというのを明確にするものです。それを数値化して目標として設定をする経営計画。これがなければ経営になりませんねっていう話なんです。

僕は会社の中でよく迷子の3状況って言っているんです。3つの状況が揃うと誰でも迷子になるんです。1つ目は今どこにいるか分からない。2つ目はどこに行ったらいいか分からない。3つ目はどう行ったらいいか分からない。

これはですね、人生も経営も一緒だろうという風に思っています。逆を言うと迷子を脱出するためには、この3つを明確にすること。さらに必ずそこにいくんだという意志を持つという条件を加えること。

これで迷子という状況から必ず抜け出して目的地に必ずたどり着くことができます。今どこにいるのかがハッキリわかっていて、行くべき目的地が明確になっていて、そこまでの道筋は今の自分の体力とか状況とかで、どう行くかは自分で決めればいいんです。

これを経営に置き換えてみると、現状を明確にし目的地を明確にするということは経営計画として、経営計画のなかで数字化してきちっと決めればいい。

どうやって行くかっていうのは、方針、戦略に当たります。そして、必ずそこにたどり着くんだという意思、それは経営理念とか経営ビジョンと呼ばれるものに相当するだろうと思います。会社の中で経営指針はこの3つ、理念と方針、計画がなければ逆を言うとたどり着けないんですね。ということで経営計画をまず作ることから僕はスタートしました。

 

借金返済のため利益計画を立てる

僕はたまたま恵まれていた状況だったので返済原資をつくらなきゃいけなかったんです。なんでもいいから売上があって、その売上から仕入れ、仕入れから原価を差し引いて粗利があって、その粗利で固定費を差し引いて残りの余剰の利益がでるっていうような計画ではなくて。これだけの利益を作らなければ返済ができない。

返済できないと会社が存続できない、ということがはっきりしていましたから、これを作るためにはどんな収益構造になっていないといけないんだろうっていうところからスタートしたんです。利益計画をたてたその年に10年ぶりに利益がでました。

その期の途中で気づいていました。うちは利益を出ない会社じゃなくて出さない経営をわざわざやっていた会社だったんだと。あまりにもどんぶり勘定だったし何が粗利が高い商品なのか、なにが粗利が低い商品なのか、どれがお客様の売上の多い商品なのか少ない商品なのか、そんなことがまったく現状把握ができていなかったんですね。

これはやる価値があるんだと思ってパソコンを買いまして、エクセルを入れ会社の仕分け伝票を全部打込んで、いるものいらないもので仕分けをして綿密な利益計画を立てたんです。その翌年は4,000万経常利益がでました。経理の人も信じられないくらい利益がでました。経営指針=経営理念、経営方針・戦略、経営計画の3つですが。

社内が活性化して社員さんが生き生きとして、みんなでアイデアを出し合って、勢いのある素晴らしい組織になっている会社と、そうじゃない会社ってハッキリしてるんですね。理念と方針はあるんだけど、戦略と計画がない。そういう会社は活性化していません。僕は後継者なんですね。父とうまくいっていませんでした。そういう人間からすると会社には理念はあるんですけど、遠いんですね。特に親父とうまくいってませんでしたから、先代が作った理念をそのまま受け入れられないみたいなんですね。理念の唱和とかするんですけど、口先だけの上滑りな感じになっちゃうんです。

本当に本気でこの会社を理念の通りにしようと思っていなかったんです。僕もそうでしたから、社員の方もそうだったと思います。僕はよく理念や方針が社内に徹底しない、浸透しないという相談を受けます。ハッキリ言ってます。「まず会社に利益を出しましょう。利益を出したら理念や方針は浸透しますよ。」と。理念なき経営は罪悪です。もしドラ(もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら 著:岩崎夏海)でピーター・ドラッカーもいってます。理念が欠落した会社が何のために存在をするのか。

それが公的に、世の中の地域の幸せのために存在することをきちっと理念として謳ってない会社は、なんでもいい目的のために手段を選ばない会社になるでしょう。それが罪悪です。でも利益なき経営はただの戯言なんです。うちの会社は経営方針書の中に柳生家の家訓を書いてるんですけど、「財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上なり。されども財無くんば事業起こしがたく、事業無くんば人育ちがたし」っていうのがあります。

理念、方針・戦略、計画は全部合わせて一つ、全部で指針なんです。これが揃ってないと迷子になっちゃうんです。自分たちがどこにいるかわからなくて、そこに行くんだっていう意志もなくて、どこに行けばいいのかわからなくて迷子になっちゃうんです。だからこれをきちっと揃えないといけないんです。そのときに僕はたまたまこの計画を作る機会に恵まれたわけです。

作ってみたらわかりました。計画の作り方を間違った作り方で行っていると業績って上がらないんです。うちは業績が上がらない利益計画を作っていたんです。それは「業績悪いからみんなで今期の売上あげるぞー!」って売上からつくる計画なんです。

前年比で80~90のことがざらにあって100を維持するのもめずらしい状況の中で、105を目指そうって言っても「社長は現場のこと分かっていないよな」って雰囲気になるんです。それでダラーっとした雰囲気になるとまた社長が怒って、頑張るぞ!って気合を入れて社員も空元気で応えるわけです。しかし、うちの社員で勇気をもってこれに手を挙げた人間がいたんです。ベスト電器の店長までやって若手バリバリで元気のいい男なんですけど。

数字がわかるもんですから「社長ちょっといいですか!私たちは決してサボっていません。一生懸命頑張っているんです。だけど98とかで100にいくのが精一杯なんです。社長が105って言いたい気持ちも分かるんですが、我々は頑張っているんです、どうすればいいんですか社長!」と聞いたんです。そしたら社長はそんなこと考えていません。前年を割る目標設定なんてあり得ない、業績が悪くなったら売上あげろですよ。

105からはじまっているんで、どうすればいいんですかってそれを考えるのが君たちの仕事だろってやっちゃったわけです親父が。そう言われると、勇気を出した社員側からすると頭下げて頑張りますになるわけですが、年を明けてみると98で終わるわけです。すると社長が「なんで98なんだ、お前たちやるっていったじゃないかー!!」になるわけです。ここに課題解決の話し合いはなく、ただの水掛け論で終わるわけです。こういうふうに上(売上)から計画を作っていくと、達成されません。僕はどうしても返済しなければならなかった。

なので下(経常利益)からスタートせざるを得なかった。しかし計算すると120になりました。120は無理なんだけど、経常利益は下げる事はできません。なのでまずは経費削減をしました。会社の原始伝票をめくって、細かくエクセルに打込んで1年分のお金の動きを見て削減しました。そして110の売上で10の経常利益が達成することができるまでにしました。でも105が無理なのに110は無理だ。そうだ粗利を上げればいいんだと思いました。粗利が上がるということは仕入が下がるってことです。固定費は会社の中身だから僕たちが100%コントロールできる部分なんですね。だけど仕入っていうのは仕入先様があることですから、僕たちが100%コントロールするところではないです。

見積りをとって5%低いところから仕入れればいい話なんですが、それでは5%品質が落ちちゃうんです。僕がしたかったのは、品質はそのままで、5%下げて欲しいという手前勝手なお願いなんです。だからお願いに行きました。すると門前払いのところもありましたが、何社から下げていただく事ができました。売上が98で経常利益10を達成できるまでになりましたが、よくよく考えると98が必ず達成できるとは限らない。なぜならここは買うか買わないか決めるのはお客様だから。私たちが指示したり、命令やお願いをしてもそれを聞いていただけるとは限らないわけです。じゃあ本気で98を達成するためにはどうすればいいの。そもそもうちの商品をお客様はなんで買っていただいているんだろう。うちの商品の価値って何なんだろう。

その買っていただいているお客様なんだけれども、どんな方々が我社のお客様なんだろう。そのお客様たちはどんな地域に住んでいらっしゃって、その地域に我々は流通をしてお酒を届けているんだろう。その流通に対してどんな営業をしているんだろう。そういったことを本当に考えようとなったのは、買うか買わないかを決めるのはお客様なんだということがわかったとたんでした。これは我社に戦略が生まれた瞬間なんですね。

僕が何を言いたいかっていうと、経営計画、数値計画はただの数字じゃないんです。我社が生き残るためにどうあるべきなのかっていうことが経常利益の数字に表れてるんですね。そしてこの固定費は会社の中を表しています。内部を表しています。

どんな人がどんなふうに働いているのか、どんな歳で我々が商売をしているのか、我々のビジネスパートナーは誰で、どんな人たちで、どんな思いで仕事をしているのか、お客様はどんな方で、我社の何に価値を感じて買っていただいているのか、この全体の数字の中にお客様の顔とドラマがあるんです。それが数字として出ているんです。これを下から作っていったときに初めてこれは経営指針そのものなんだ。経常利益が経営理念であり戦略が含まれていて、これ(売上、仕入、粗利、固定費、経常利益)を本気になってやっていこうっていうのは経営理念の浸透なんですね。っていうことに気がついたんです。

 

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うちは債務超過で赤字の会社で生き残る為に経常利益を作る必要がありました。返済原資をつくる必要があったんです。けれど普通の会社だったら、経常利益は生き残っていくためにやるべきビジョンや想いや夢を叶える原資・源泉ですよね。上から作っていくと経常利益が売上からできた余剰の利益と思ってしまうんです。余剰の利益と思うからコミットできないんです。経常利益は余り物じゃないんです。経常利益を達成するために売上という手段があるんです。

計画、手段の中に目的というのが明確になったときに誰でも数字にコミットして、一生懸命やろうという気持ちになります。800社の中小企業とヒアリングをさせていただいてその中で活性化をしている会社というのは理念、方針、計画がある。

その中でも戦略と計画が明文化されて、書き出されて、社員と共有をしている、一緒につくっている、そしてその数字は下から作った計画になっている、こいうところは間違いなく活性化し、社員さんが生き生きと仕事をしています。なぜならば自分がやっている仕事はなんのためにあるのかって知っているからです。人間ってやらされている仕事よりも、自分がやりたいと思う仕事をやっているときの方が力出ると思うんですね。

我々、経営者・リーダーの仕事っていうのは、やらされている仕事ではなくて、自分の生活・自分の人生の中でその仕事がどんな意味を持っているのか、ということをきちっと社員さんたちと共有する手伝いをするのがリーダーにとって最も重要な仕事だと思います。数字ができました。

じゃあどうやってこの数字を達成するのかっていう話になっていくんです。まず最初に若竹屋でやったのはSWOT分析でした。どうやったら社員さんたち、会社が利益が出るのかなって一生懸命考えたんですね。よくよく考えたらですね。会社が儲かるか儲からないか、利益が出るか出ないかは、商品やサービスが売れるところに経営資源を集中すればいいんです。

売れている地域があれば、売れている地域の営業マンを増やすべきです。売れている商品があれば、その商品の説明をする、販売をする、作っていくプロセスにヒト・モノ・カネを投入すればいいんです。その投入の投入先が間違っていたらその会社は衰退していくし、ちゃんとお客様に指示される商品・サービスや会社の利益を生む源泉となるところに投入したら当然会社は伸びていきます。

では我々はどこに経営資源を投入したらいいんだろうっていうのが一番最初の悩みでした。さまざまな本を読んでいたら共通して書いていたのは、SWOT分析という言葉でした。Sはストレングス(強み)、Wはウィークネス(弱み)、Oはオポチュニティ(機会)、Tはスリート(脅威)。この4つをみることで会社を進んでいく方向を明確にしましょう。強みと弱みは会社の内部環境です。機会と脅威は外部環境です。これをしっかり見つけようっていうのがSWOT分析です。

SWOT分析は大事ですよって書いている本はたくさんあるんですけど、具体的にこういうふうな進め方でやると社員さんとベクトルが合いますよって書いてある本は少ないんですね。会社の強みや弱みとか会社を取り巻く外部環境っていうのは変わっていきますから、1年に1度ずつブラッシュアップして、今の我々の強みを知る事で新しい商品やサービスの開発なんかもするわけなんです。SWOT分析で我社が進むべき方向、どこに経営資源を投入したら会社が利益が出るのかっていうのがおおまかな全体像がつかめました。

今度問題になったのは経営資源(ヒト・モノ・カネ)なんです。投入すべき経営資源が手元にないんです。特にお金は借りられないわけです。ヒトも入ってきません。経営資源が十分に調達できないのが我々零細企業の悩みの一つです。投入すべき経営資源をどこから調達、確保したらいいんだろうっていのが悩みだったんです。

悩みが課題となって明確となった時点で、答えは向こうからやってくる。パラダイムシフトと同じで自分のアンテナが立っちゃってるもんだから、本屋に行くと本が自分を呼んでいるわけですよ。背表紙が光輝いて手に取ると、今知りたかったのはこれだってなるんです。出会ったのはABC分析でした。売上高の高い順にAを主力商品、Bを準主力商品、Cをその他の商品として区分します。若竹屋ではAが50品目で80%。Bが累計で100品目95%。Cが累計で200品目100%です。ABC分析はやめることを決める道具なんですね。若竹屋の経営資源をどっから調達するのかって、Cランクの商品をやめるんです。「100の商品を削るんですか。お客様からクレームがきますよ。」と社員が言うわけです。

「でも100削っても売上は5%しか下がらないんだ、だから今年はそこで浮いたやつをAランクやBランクを売るため、質をより良くするために経営資源を投入しようじゃないか。」と答えます。でもそのときに手を挙げる社員がいるわけです。「120位の商品なんですけど、発売したての商品なんです。1年に計算すれば50位くらいに入ってきますよ。これ切っちゃうんですか。」こういう商品がいくつかあったわけです。それはどうやったら見分けたらいいんだろうっていうふうに新たな課題が生まれました。

それは年計っていう数字です。こういう数字を見ていったいなんの経営的な意思決定を我々経営者はするんでしょうか。我々経営者は利益を出す為に、社員さんが幸せになる為に、この会社が活性化していくために、限られた経営資源をどこに投入するかを決定する。これが経営者にとって最も必要な意思決定です。それは社員さんにはできません。あの地方に、あの商品に、ヒトを寄せるべきだ、お金をもっとかけるべきだとか。権限を与えられていない社員さんではなく、決定するのは経営者の仕事です。年系っていう数字は、常に12ヶ月の数字をみるんです。するとトレンドがみえてきます。

成長路線なのか、成長が止まっているのか、落ちていっているのかが見えてくるんです。成長が伸びていっているんであれば、経営資源を投入するともっとよく伸びていきます。伸び止まっているんだったらその月にはなにか問題があるんです。

そこをちゃんとヒアリングしたら理由が見つかりますので、適切な経営資源を投入すればまたさらに伸びていきます。落ちていっているんだったら、そこを食い止めるのか、そこから経営資源を引き上げるのかっていう経営的な意思決定をする。

年系っていう数字は本にはあまり出てきませんが、使ってみるととても重要な数字であることがわかります。Aランクの商品であったとしても落ちていっている商品もあるんだと。Cランクの商品でも伸び基調の商品もあるんだと。どれを残すのかは年計と組み合わせてみないとわからないんだなと。年計を組み合わせる事によって残すべきものと捨てるべきものがハッキリしてきました。最後にですね、そうやって決めた商品にどれだけ投入するのか、投入量を決定しなければいけないけないという問題が残ったんです。それを解決してくれたのがPPF分析というのでした。これはプロダクト・ポートフォリオ・マネジメントっていうんですけど。

これを分かりやすくしたやつを若竹屋で使っています。縦軸が粗利率。横軸が売上高。粗利率が高くて、売上高が多いところは攻めるゾーンで経営資源を1番に投入すべきところです。粗利率は高いけど、売上高が少ないこれは育てるゾーンで2番目に経営資源を投入すべきです。粗利率は低いけど、売上高が多いこれは守るゾーンでここに過度な経営資源を投入すると会社はうまくいきません。粗利率も低くて、売上高も少ないこれは捨てるゾーンです。

ここに経営資源が多いと会社の業績は悪いはずです。なんですけどここは捨てるところですから、ここで浮いたものを攻めるゾーンや育てるゾーンに投入する。つまり会社を劇的に改革をするチャンスがある会社といえることができると思います。商品や顧客にはライフサイクルがありますよね。ライフサイクルもPPFで表す事ができるんですね。

我々が新しい商品・サービスを開発した。新しい地域を開拓した。まだライバルもいないし、我々の技術やサービスはとても優れているそういったときは我々自分で根付けができます。根付けができるっていうことは粗利率が高い設定ができるってことなんですね。ただ売上は少ないですね。だからスタートは育てるゾーンからです。

これを売上を上げるために経営資源をたくさん投入をして、攻めるゾーンまでいきます。しかし、そこにたどり着くまで時間がかかりました。時間がかかったぶんその商品やサービスが陳腐化します。または、ライバル会社もおいしい市場だと気づき強豪の参入が起こります。陳腐化や強豪の参入といった理由によって値崩れを起こします。つまり粗利率が下がっていきます。

粗利率が下がったら粗利が低い状態でも固定費をかけながら戦略を続ける為には資本が大きいほうが有利です。資本が小さいところは売り負けて、売上高が下がっていくわけです。そしていずれ市場から消えていく。育てる→攻める→守る→捨てるの順で、顧客やサービスは動いていっているわけです。年計をとってみると明らかです。商品の年計をとってみると、育てるゾーンの商品は上向き基調のものが多いです。そして攻めるゾーンにあるものは混在しています。守るゾーンにあるのは、落ちていっているものが多いですね。

大事なのは、経営を立て直していくときに、改革をしていくときに経営資源を確保すること。投入するときにどこに投入をするのか。攻めるゾーンが1番で育てるゾーンが2番です。守るゾーンここは成り行きなんです。ところがここに投入する経営者が多いんです。経営資源を投入しないといけないのは、攻める、育てるゾーンなんです。なのに守るゾーンに投入しちゃう。なぜでしょう。それは売上を見ているからなんです。上から計画を作っているからなんです。

見なきゃいけないのは粗利です。だから上から計画を作っていくと売上を見ちゃうから売上の多い商品を減らしてはいけないと思ってここに経営資源を投入しちゃうわけですね。人材も一緒です。縦軸をやる気。横軸を成果にします。私たちが経営者としてリーダーとしてやらないといけないことは、経営資源をどこから調達し、どこにどれだけ投入するのか。

そういう意思決定であるということを申し上げたかったんです。会社の中で、我々経営者はリーダーであってボスではないんです。権力を持ちそしてみんなに指示、指導をし言うことをきかせるボスという立場ではないんだと思います。リーダーというのは、その組織そのものをどう活性化させるのか、その組織のパフォーマンスを最大にあげるために仕事をするのがリーダーであって、リーダーとボスは全く違います。でも我々中小企業の経営はですね、資本と経営が一緒なんですね。金を借りてきて、連帯保証を書くのも社長なんです。だから10年連続会社が赤字でも社長やめなくていいんです。資本と経営が別になっている大きな会社は社長も変わります。

だから我々中小企業の経営者はリーダーではなくボスになりやすい風土、性質があるんですね。こういうFUKUOKA成長塾とか同友会もそうなんですけど、様々な経営の勉強会があるんじゃないかなって思います。最後に話したいと思いますけど。債務超過のまま話が終わるとあの会社危ないってなると思いますので、その点をちょっと。12億あった借り入れが5億まで減りました。

7億を13年間で必死になって返しました。だから債務超過の状態は脱しました。主に会社を変えていった流れっていうのはお話をした通りなんですが。順風満帆にいったわけではありません。それを支えていってくれたのは、我社の社員です。利益を出していくのが我々経営者の最初の務めです。そのためにも理念、方針っていうのは大事ですけれども、浸透しやすい状況を作るそのために、経営資源を適切なところに投入をしていくことを僕はこれからも心がけてやっていきたいなと思います。

 

支えてくれた社員

今日はご清聴おりがとうございました。 ※エンドライン山本社長があの話をして欲しいと頼む

あまり話すようなことではないんですが。支えてくれたのは社員だということなんですけど。今から7~8年前なんですけど会社の資金繰りが悪くなった時がありました。3億の借り入れをしていた金融機関に、切り替えをしながら返済を少なくしていくという金融交渉をしていたんですが、ある時切り替えには応じませんと言われたことがありました。切り替えができないと若竹屋の資金繰りは悪くなります。

お金を返す為に社員さんのボーナスをカットしないといけなくなりました。何のために経営をやっているのか、社員を守るために、社員とともに働くために経営をやっているんじゃないですか。社員の生活基盤をとり崩してしまう。経営者としては最低であり、経営者としての資格がない、最初から経営をするなよと。だけどもしょうがない。でも立て直すためにみんな我慢してくれないかとお願いしました。中小企業の社員さんって再就職先ってあまりないんですよね。

みんなと食事をしていたときにある社員がですね、社長リストラせんといかんでしょうって言ったんです。もちろんそんなことはできないと言いました。そしたらいずれリストラとかしないといけなくなりますよ。そのときには分かった時点で僕辞めますって言うんです。

会社のエースで最も信頼していたんです。僕は若竹屋が大好きなんです。無給で働きますから誰も辞めさせないで下さい。というふうに言い出したんです。それから7~8年経ちますけど、そう言ってくれた社員が若竹屋を支えてくれています。経営者ができることは本当にわずかだなって思います。なにを守って、なんのために経営をしているのかをいつも考えています。

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