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第15回 ハイライト「山口洋氏」

Amebaなうで紹介
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目指すは独立者100名!

日時:2012年4月25日

アストモスダイニング株式会社 代表取締役 山口 洋氏

まずは、会社について説明をお願いします。

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 平成14年に会社を設立しまして、今年で9期目です。店舗数が福岡に12店舗、熊本に2店舗、あと、ロシアのウラジオストック店舗と最近台湾の台北に焼肉屋をオープンしました。それプラス、「辛辛」という韓国料理業態があるのですけども、それを10店舗ライセンス契約しているのと、社内独立支援店舗にのれん分けしているのが3店舗です。




先程紹介でも出てきました「居酒屋甲子園」の始まりは何ですか?

 元々は、焼き肉店の「牛角」さんが、アルバイトにどうやったら高いモチベーションで働いてもらえるかの取り組みを大勢の前で発表して共有するという発表会を行っていたました。その時の発表者の皆さんがすごくきらきらしていてカッコいいと思いました。その姿を見て感動して涙を流している人もいましたね。そういう取り組みをやって外食産業を盛り上げようと「居酒屋甲子園」の初代理事長の大嶋啓介さんが同じ熱い気持ちを持った全国の居酒屋の同志たちに声掛けをして始まったらしいです。私は、最初そういった暑苦しいのは好きじゃなかったので(笑)逃げていたのですが、大嶋さんと飲む機会があった時に、もうすぐ結婚するということを伝えたら、結婚式の2次会に来てくれて。すごいびっくりしてこの人かっこいいなぁと思って、この人のやることなら僕も協力しようということで第1回目から参加しています。

勝手なお願いですけど、今日「居酒屋甲子園」のエール交換を皆さんでやってみませんか?(笑)

(笑)じゃあやってみますか。これは、元々ですねお店がオープンする時にその新任の店長に対してみんなの熱い気持ちを注入して、これから乗り切ってくれよ!というようなことを伝えるエールなのですけど、じゃあ今日はやってみたいと思います。
(ファイトー!と熱いエールを繰り返す)
 (一同拍手)

それでは、サラリーマン時代から創業までの話をお願いします。

 まず、飲食の道に進もうと思ったのがですね、大学時代ろくに大学に行かず、居酒屋のバイトにはまってしまって。初めて居酒屋でバイトしている友達を手伝いに行った時に、居酒屋ってすごい美味しいものがいっぱいあると思いました。まかないとか、いつも美味しいものいっぱい作ってくれたので。それですごく料理にはまってしまって、四年間ずっと料理のアルバイトをしていました。将来は料理で食っていこうと思って、おふくろにコックになりたいと言ったら、「四年間大学まで行かせてやったのに、私はずっと公務員になれって言ってたでしょ!」 と言われました。じゃあ経営の勉強をするから飲食の道に進ませてくれと頼みました。そして、就職課でいろいろ調べていたら、「大和実業」という大きな会社があって、そこに入社しました。そこでずっとマネジメントの勉強をやっていました。  

 会社にいる時は、ものすごく教育費にお金をかけてくれていたのでいろんな研修体験をさせてもらいました。私は、独立志望で入っていたんですが、上司の専務が、「うちで一生懸命勉強して、自分で立ち上げて成功してね。」と言ってくれる素敵な人でした。それがすごく嬉しくて、どんどん勉強していくうちにすごくその会社が好きになりました。ずっと居てもいいなと思ってましたが、社長が変わった時期からすごく方針が変わって合理的になっていきました。段々と上に自分の意見が通らなくなってきたので、会社を辞める決意をして独立しました。  

 それから、大学の時にお世話になった先輩と協力して、親や友人に頭を下げて資金を用意して警固に小さなお店を一店舗オープンしました。半年間は全然ダメだったんですけど、一生懸命やっていたら、半年過ぎた辺りから少しずつお客さんも来てくれるようになって、ようやく利益が少し出るようになりました。今まで、大きい所でやっていてすごく利益が出ていたから、個人でやるってのは本当に大変だなと身に染みて思いましたね。

店は大学の先輩と協力してやっていたんですよね?

 

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共同経営でやっていました。店がオープンするまで、私は企業で、先輩は数店舗の個人経営の雇われ店長として働いていました。8年ぶりぐらいに一緒に働いてみて、お互いに全く考え方が違うということに気がつきまして。お互いに口を閉ざすことが多くなってしまいました。具体的にどういう風に違ったかと言うと、店でかける音楽の趣味の違いとかそういったものな

のですけど。それでも、お互いに一歩引いて考えを言ったりするようになって、なんとか一年ぐらいは

上手くやることが出来ました。  

 そんな時に、僕の同級生がちょくちょく店に来ていまして。彼は、建築士で全く違う業種だったのですが、サイドビジネスに興味があって、彼に当時描いていた現

在の「辛辛」の経営コンセプトを紹介したら食いついてきました。同級生が資金集め、自分が経営という形で店をやることになって、先輩とやっていた店は先輩に売却して新しく「辛辛」という店を博多にオープンしました。「辛辛」というのは、韓国料理のお店なのですが、女性をターゲットにした内装のお店が当時まだ他に無かったので、メディアにどんどん取り上げてもらえて、売上が月ごとにどんどん上がっていきまして。新しく、大名に小さな店舗のチェーン店をオープンしました。  

 その後、売上は順調に伸びていましたが共同経営は難しいと判断して、友達が博多店、私が大名店を分け合って経営することになりました。 

 売上が好調だったので、中洲で飲み歩いたり、外車を買ったりと派手にお金を使って遊んでいて、ある時に従業員に「いい加減にしてください。そんなんじゃあなたにはついていけません。」と指摘されて我に帰りました。そこから、生活も改めて利益を人の育成の為に使おうと決めました。すると、自分自身の生活や心も充実してきて。みんなの応援を出来るフィールドを作っていくのが、自分の一生やっていける仕事なのだと気付きました。それから、2004年頃に経営方針を転換して会社名を「㈲CALACALA」から、「アトモスダイニング株式会社」に変更しました。

派手にお金を使っていた頃、従業員に指摘されてカチンときたりはしなかったんですか?

 そうはならなかったですね。当時の自分に満足していなかったと思いますから。ちょうど、こんなんじゃダメだなと思っていた時でもあったので、とても心に響く一言でしたね。その時は落ち込みましたけど、今思えばそこがターニングポイントだったと思います。

普通なら福岡出店の次は九州進出や本州進出を目指すと思うんですけど、何故ロシアのウラジオストックに出店したのですか?

 日本の政治だとか経済を見ていると、飲食業界の売上も顕著に右肩下がりの状態です。そんな時、生活費の中で真っ先にカットされるのは、洋服代だとか、僕らみたいな居酒屋に行くお金が多いと思います。でも、海外に行ってみると、和食は世界ナンバーワンと言っていいほど急速に全世界に広がっていて、海外で頑張っている寿司職人は50万ぐらいもらっているとか聞いていたので、海外進出の勉強もしなきゃなと思ったわけです。私は、社員を守らなければいけない立場なので、海外というものを見る必要があると感じました。それで、当然国内もこれまで以上の努力をして、海外の事も少しかじって勉強しようと思っていたところに、知り合いを通じてロシアで焼鳥屋をやりたいという人に会う機会があって、実際にロシアの現地調査に同行させてもらいました。  

 ロシアでは、中国系や韓国系の方がやっている和食店があってすごく流行っていました。でも、実際に日本人の私が食べてみると食べられませんでした。例えば、日本そばで焼きそばを作っていたり、間違った和食の認識が伝わっていました。福岡から直線距離で言えば、北海道もウラジオストックもそんなに変わらないのに何でこんなにねじ曲がって和食が伝わっているのかと不思議に思いました。 

 ロシアのイメージと言えば、「寒い」「怖い」ですよね。でも、行ってみると人はすごく温かくて、優しかったです。寒さもそれほど感じなくて。すごくロシア自体のイメージが良くて、店の管理・営業をさせてもらうことになりました。

出店に行きつくまで大変でしたか?

 大変でしたね。まず、向こうは法律がとても厳しいです。例えば、レストランを開く時には、会計室・シャワールーム・食材のストックの部屋が必要で、ストックの部屋も肉・野菜・魚と種類別に部屋を分けなくてはいけませんでした。全ての決まりを守ったら、客席が店舗の3分の1ぐらいしか確保できません。でも、実際にはそれを全部守っている店は無くて、上手い具合に賄賂を渡したりなどごまかしています。  

 日本人とロシア人とは民族的に考え方が全然違っていて、うちのロシア人の従業員は三日働いたら三日休んで夏休みも1ヶ月とるので、実際には5カ月ぐらいしか働きません。日本人の感覚からしたらおかしい話ですけど。ロシア人の従業員に、週休2日の代わりにこれだけ給料を出すと言っても意味がわからないと言われました。逆にこっちがそんなに働いて家族とは大丈夫なのか?と心配されましたね。向こうの感覚だと、家族と一緒に過ごす時間があればお金はちょっとあれば良いという感覚です。そうなると、休みを確保してあげなければいけないので、従業員数は倍雇わなければいけませんでした。元々、社会主義の国なので与えられた仕事をいかにサボるかということを考えて仕事をしていました。だから、人件費も予想以上にかかってしまいました。

ロシアで従業員とトラブルがあったとの話ですが?

 会社の部長が現地に行って指導していましたが、ロシア人の従業員と日本人の従業員との間に段々と軋轢出来始め、上手くオペレーションが進まなくなって思うように売上が伸びなくなってしまいました。一時期は撤退の話も出ていて、一度私が現地に行って話をしに行きました。現地に行って気付いたのは、現地の日本人スタッフは非常に真面目で、日本流のやり方で経営を行っていたことです。そのことが、ロシア人との軋轢を生む原因になっていました。なので、日本流ではなくロシア流のやり方を始めてからは上手くいくようになりました。

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大橋にある「イタリアン炉ばたFESTA」という店の出店までの経緯を聞かせてもらえますか?

 人材がだいぶ育ってきたので、今年は出店計画が何件かあるのですが、そのうちの一軒目として出店しました。うちに部長の武井という「辛辛」のような韓国業態が好きなやつがいるのですが、最近の韓国料理業態は、新興勢力の「あぷろ」さんや、「Golden Times」さんが勢いがあって、この二大勢力に先を越されている状態です。

 そこで、ここらで新しく名前を変えて何かやろうかと考えていて、それを武井に伝えました。韓国料理業態が大好きなやつだったので、絶対食いついてくると思っていたら、「僕、イタリア料理がやりたいんですよ。」とぼそっと言われて(笑)。その時気付いたのが、私がやりたいことをやって部下を半ば仕方なく納得させてやるモチベーションよりも、部下がやりたいと自分から考えてやっていることの方が、絶対彼らの為にもなるし、お客さんも満足するということです。

 長年やっている中で、段々とそういう方向に方針転換して考えてもらったことを実行に移してもらおうと思っていたので、イタリアン料理店をやってみようということになりました。最近はイタリアンを居酒屋スタイルで味わってもらおうという店が増えています。その中でも、関東の武蔵小杉にある「ナチュラ」というイタリアン居酒屋があって、そこがすごく売上が良くてそこを参考に店舗を作りました。

韓国料理の店がしたいと言ったのに、イタリアンがしたいと言われた時にどう思いましたか?

 通常飲食店の業態開発や出店計画は大体社長が行う場合が多いですが、うちの場合は、各部長が3人いてそれぞれが物件を見つけてきて、自分でコンセプトを決めてから社長に上げるというスタイルです。いろんな考え方があるので、「それいいね!」だったり、「みんなで共有しようよ。」と言うのが私の仕事になっていますね。

もし、部長が悪い意見を持ってきた場合はどうしますか?

 会議で他の人に意見を聞いたりして、反対意見が多かったら他の人に協力してもらうように言ったりしますね。極端な例だと、失敗するのをわかって出店にOKを出す場合もあって、天狗になっている人に失敗して勉強してもらうようにしむけたりすることもたまにあります。

3人の部長さん以外にそれよりも下から意見が出てくることもありますか?

 最近はまだそういうことも少ないですが、昨日のミーティングでは部長3人が「店長にも安心させなきゃいけないよね。」と言っていてごく良い事言ってるなと思いましたね(笑)。段々、年齢が上がってくると若い人との感覚についていけなくなるので、下に任せた方がいいのかなと思うことはありますね。

若い人の話で勉強になることもありますよね?

 それはありますね。それもですけど、みんなが考えてやる事って各自に責任感があってもし、少しぐらい失敗してもまた何かしようと考えると思うので。それが成長だと思うし、その積み重ねが会社のボトムアップに繋がると思います。逆に、自分が会議などで喋らなくなってから業績が上がったぐらいですね。

飲食店において、アルバイトの存在はどうお考えですか?

 飲食業では、アルバイトが意欲的になるのは一番大切な事だと思います。アルバイトは、第一線でお客様と接しているわけで、接客の時にお客様に褒めてもらえるって本人にとっても、会社にとってもすごくいいことじゃないですか。ですから、そう言ってもらえるような接客やマナーを身につけられるような仕掛けをしています。お客様にとっては、社員もアルバイトも関係ないですから、飲み会や社員旅行や、研修会などにアルバイトも参加してもらって、社員とアルバイトの意識の差を無くすように心がけています。

社内に独立支援制度があるそうですが、それはどのようなものですか?

 

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ある程度店長としてキャリアを積んで、社内の様々な人に認められたらのれん分けをするようにしています。そのシステムは、例えば既存の利益の出ている店舗を

店長に貸し出してレンタル料を取るので

すが、年々レンタル料を

減らしていく制度で、売上をキープし

続ければ店長自身の取り分も多くなるの

で、次のステップアップのための制度ですね。本当は店舗を買い取った方が安いですが、この制度だとリスクがありません。隣にライバル店ができて利益が出なくなったのならば、会社に帰ってきてもいいですし。次に別の業態の店に切り替えるなど方針転換もで

きてチャンスも生まれます。  

 うちの今の目標は、100人の独立者を出すということです。現在3人の独立者を出していますが、この制度は100人目の独立者を出すまでみんなで支えあって作っていく制度です。どんどん出資してレンタル店を増やして多くの人にチャンスを与えられるようにすれば全体のモチベーションも上がりますし、互いに高めあっていけると思います。

最後に、今後のビジョンをお願いします。

 飲食業に入る人は、私も含めて勉強が嫌いな人が多いと思うんですけど、その中でも勉強はしなければいけません。新卒などの新しい空気を入れる事で、互いに学びのモチベーションを高めるようにしていきたいですね。  あと、独立支援制度の推進を進めていきたいです。ここ10年で全体の店舗数を50店舗増やして、そのうちの半分を独立店舗にしていきたいです。そうやって様々な人材を輩出していければと考えています。

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